太宰府の歴史 7.菅原道真と太宰府天満宮
学問の家に生まれ、右大臣にまでのぼりつめた菅原道真でしたが、左大臣藤原時平の圧力によって昌泰4年(901)、大宰権帥に左遷されました。
大宰府での暮しは都とはうって変わって侘しいもので、与えられた官舎(南館)は床も朽ち屋根は雨漏りするようなありさまでした。
そこで失意のうちに2年間を過ごし、延喜3年(903)に亡くなります。 その遺骸を牛車に乗せて運んでいたところ、牛が動かなくなり、そこに埋葬しました。 その地が現在の太宰府天満宮であり、大宰府での住居・南館の地が現在の榎社と伝えられています。
太宰府天満宮は、安楽寺ともいいました。まず、延喜年中に御廟が建てられ、その後、大宰府官人として赴任した中央貴族たちによって次々と堂宇が寄進されて寺院の形が整えられていきました。
荘園を40ヶ所以上持ち、平安時代の11世紀から12世紀にかけての頃が最盛期だったようです。
戦国時代、度々の戦乱に巻きこまれて社殿は焼き討ちにより焼損、一時荒廃しましたが、豊臣秀吉の時代、筑前国の領主になった小早川隆景によって本殿が再建され、続く江戸時代も藩主黒田氏によって復興が行われました。
このようにして、菅原道真は文道・学問の神として人々の信仰を集め、今日に至っています。